自分らしさ探求者が「自分らしさ」の追求をやめてみた話

「自分らしさ」の沼にはまってませんか?

美容はココロから

黒髪から白髪への成長過程が尊い

白髪が増えた

 

といっても

40代後半にしては

かなり健闘している

 

3年程前までは数本しかなく

美容師から驚愕されていたが

この1年で十数本

見えていない部分も考慮すると

数十本に増加しているかもしれない

 

ありがたいことに

頭皮部分から全体に白い訳ではなく

一本一本伸びる過程で

また生え変わる過程で

白髪に変化していくので

白髪染めはせず

「ハイライト」

の感覚で楽しんでいる

 

コロナ禍以降

髪染めは自宅で行っていたが

それも面倒になって染めなくなった

白髪の生え方次第だが

今後さらに白髪が増えても染めずに

玉置浩二」を目指して

ファンキーな白髪を極めたい

と考えている

 

20代から美容には気を配り

周りにも美容家が多かったため

エステやシミ取り、脱毛など

「若いから」を理由にせず

自分磨きに力を注いできた

のだが

この歳になって

「外側のケア」を全くしていない

 

余りあるお金があれば

エステ、マッサージ三昧なのか

 

はい

間違いなく行くでしょう笑

でも

「若返り」ではなく

「リラックス」が目的だ

なぜなら

美しさは「内面」を反映している

 

ココロが若々しければ

肌もしわもシミも臓器も

全てが輝きだす

 

愛と感謝でココロを満たし

「自分」を美しく輝かせよう☆

 

言葉が作る世界

わたしは日本の東にある美しいハワイに住んでいる☆

街路樹にヤシの木が多い

 

温かい太平洋海岸沿い特有

の街並みだと想う

 

住所に「海」が付くエリアもあり

サーファーも多く

自転車にサーフボードを乗せ

ウェットスーツで街を行きかう姿に

アメリカ西海岸やハワイの

雰囲気を感じて喜んでいる

 

だが

この街で生まれ育った知人は

真っ黒に日焼けし、砂まみれで

着古したTシャツ短パンで歩く

若者から年配者の姿を揶揄して

「ここは北京の路地裏だ」

と言い続けている

※注意※

これはあくまでも知人の意見で

北京の路地裏にどんな人がいるのか

どんな雰囲気なのかを知らないので

わたしは批評も反論もしないことを

ここに強くお伝えしておく

 

知人は決してこの街が嫌いなのではない

むしろ好きだと思うのだが

照れ隠しなのか、この街について

あまり良いことを言わない

でも

言葉の力「言霊」は強力だ

 

ココロに想っていなくても

声に出して発することにより

それは「自分の世界」に影響をもたらす

 

どれだけ感謝していても

素直にその気持ちに向き合わなければ

そこに「感謝」は生まれない

 

自分の目に映るもの映らないもの

全ては生命を宿している

 

その生命を輝かせるのは

「自分」が発する美しい言霊だ☆

 

自分はわからなくていい

この本を「今」読むことに大きな意味があった☆

「自分の思考」と向き合った

 

正しくは

否応なしに向き合わされた

 

この本は「今の自分」が

どの意識レベルに存在するか

で受け取り方が全く異なる

 

全然理解できないのか

拒否反応を起こすのか

深い理解を促すのか

 

ガチスピ本だが

使っている言葉や表現は

とてもシンプルでわかりやすい

だからこそ

「潜在意識」に働きかける

 

内容は

「全ては今ここに在る」

そのためにどう生きるのか

 

当書の中に

「自分らしさ」

についての記載があった

 

‘’自分らしくあるというのが

どういうことかわからなくていい

自分が何者かわからなくていい

それでいい

残っているのが「自分」だ‘’

 

一部抜粋の要約であり

抽象的な表現なので

これだけで理解は難しいと想うが

わたしが感じ取った結論は

「自分らしさはわからなくてもいい」

ということだ

 

無理に探さなくても

無理に理解しようとしなくても

無理に色を付けなくても

「思考」を使ってわかろうと

何かする必要は全くない

 

わからないまま

「自分」の中から出てくる

「感情」にココロを委ね

「今を楽しんでいる」

それが「自分」で在り

それが「生きる」ことである

 

ポケモンは今輝く

カードゲーム部門があることは何だかとても嬉しい♪

ポケモンが白熱している

 

ゲームには興味がなく

身近に子供もいないので

ポケモン竜王戦

が開幕したことに驚いた

 

ポケモンが世界で人気なのは

もちろん知っている

ポケモンショップは拡大し続け

多くの人で賑わっている

ことももちろん知っている

わたしのポケモン

ポケモンGO

リリース当初で停止しており

しかも

ポケモンGOも手を出さなかった

 

先日知人との話の中で

知人の友人の子供が

ポケモンカードを売りに行ったら

「80万円」で買い取ってくれた

と聞いて驚愕した

珍しいカードだったらしいが

それでも80万円の値が付くのは

それだけ需要があるということだ

 

ものの価値は

「今ここにある価値」であり

過去や未来は反映されない

 

過去のものが再評価されたり

未来を見越して投資したり

人は過去や未来に思いを馳せて

「今」を判断しようとするが

それは虚像であって実在しない

 

全てのモノゴトは今ここに在り

今ここでしか味わえない

 

古いものも新しいものも

今の感覚で認識されている

 

今の感覚を大切に味わう

それが

「自分」の未来を創っている☆

 

シンクロは未来へ誘う

沖縄のスピリチュアリティが溢れている☆

時空を超えた奇跡は起こせるのか

 

有川浩さんの小説は

少し不思議な設定でも

リアルに想えてしまう

 

この小説は家族の物語だ

でも先日紹介した「スイート・ホーム」

のような優しい家族の物語ではなく

父と息子がぶつかり合う物語だ

様々な出来事の中で

「家族であること」

「家族になること」

の意味を気付かせてくれる

 

物語は過去と現在、未来も含めて

時間軸が交差しながら描かれている

でも違和感を感じなかった

その理由は

今わたしに時空を超えた笑

「シンクロ」

があまりも多発しているからだ

 

この小説の舞台は沖縄なのだが

小説を読んでいる時に友人から

沖縄の歌手の動画が送られてきた

また

朝イチ何気なく再生した動画で

森に行くといい、と聴いたら

その2時間後に友人から電話があり

森に行きなさい、と言われた

友人はどちらも同じ宇宙人なので

このシンクロはなかなかだ

 

最近観た旅のドラマで

紹介されていた海外の芸術祭は

5年以上前に観た夢の映像を

鮮明に呼び起こした

 

シンクロは

行くべき道に正しく進んでいる

ことを知らせる「道しるべ」

のようなものだと教えてもらった

 

今回のシンクロはわたしを

沖縄や海外の芸術祭へ誘うのか

 

「自分」の未来はワクワク

と共に無限に広がっている☆

 

とりあえず森へはすぐ行った笑

 

種が消えても在るもの

農家の軒先で購入したみかんは昔ながらの甘酸っぱい味がした☆

果物の種がない

 

ぶどうやみかん

柿やスイカでさえも

種がなくなっている

 

食べやすさ

を考えた結果の品種改良は

人の叡智と科学のなせる業だ

 

そして

果物は甘く甘く

年々糖度を増していく

そんな果物たちは

ジャパンブランド

として海外で高く評価されている

 

幼い頃、冬になると

実家の居間には必ず

みかんが置かれていたが

甘さより酸っぱさが際立っていて

あまり好きではなかった

 

グレープフルーツには砂糖

いちごにはコンデンスミルク

で甘さを足して

食べていたのが懐かしい

 

甘くて美味しい果物

を食べられることは

感謝でしかない

でも

昔のあの甘酸っぱい

「野性味溢れた果物」

を食べたいと思うのは

今だからこその

贅沢なのだろうか

 

母の田舎の庭に在る

柿の木になる柿は

大地の豊潤な栄養を吸い上げ

力強い柿本来の味がする

 

大地がもたらす本質の味は

生命に共鳴する

 

わたしたち人間も

大地にしっかり足をつけ

大地からエネルギーをいただく

 

化学がもたらす進化は

農業の衰退を解決するとともに

大地を豊かにする「発展」

であってほしいと切に願う

 

「自分」という生命は

大地とともにある

 

日常に溢れる幸せ

ページをめくるごとに愛で満たされる☆

多幸感で胸が一杯になった

 

ありふれた日常を

奇をてらわず

ただただ丁寧に

シンプルに描いた作品は

愛で満ち溢れていた

 

わたしの大好きな作家である

原田マハさんは

作品ごとに表現方法が全く異なる

ミステリーでは気持ちをざわつかせ

ラブストーリーでは胸をときめかせ

ホームドラマではココロを温める

 

この小説はホームドラマ

ケーキ店を営む家族と近隣住民の

交流から生まれる様々な物語が

主人公を変えながら描かれている

 

小説のモデルになった場所は

実家から近く

友人が結婚後に新居を構えたことが

物語の内容とリンクすることもあり

背景を創造しやすく

いつも以上に親近感を覚えた

 

でも

リンクすることが何一つなくても

この小説には誰もが

「親近感」を抱くはずだ

 

我が家の出来事として

友人の家の出来事として

身の回りに在る

「ありふれた日常」

が描かれているからだ

 

ありふれた日常

その中に在る幸せ

当たり前すぎて見落としていること

 

「当たり前」こそ奇跡でしかない

「普通」こそ幸せに満ちている

 

変わらない日々の生活

でもそこには

たくさんの愛と感謝が溢れている

「自分」はなんて幸せなんだ☆